最後まで隠された究極の「対比構造」とは

 

 

 

注意

この記事では、シグルイの隠された物語を解説します。

シグルイをまだ読まれていない方は、ぜひ本編を一読されてから、以下の説明に進むことをお勧め致します。

 

 

最後のもう一つ

水と油

藤木と伊良子は対称的になっていることは、こちらでお話ししました。その時に使った表を、もう一度掲載してみたいと思います。

 

藤木源之助 伊良子清玄
剣の才能 凡才 天才
頭の回転 愚鈍 聡明
女性関係 奥手 遊び人
剣を振るう理由 生まれながらの侍のため 出世のため
顔の表情 仏頂面 柔和
親との現在の関係 農民の自分は死んだので無関係 売春婦の母を殺したので無関係

 

しつこい「愚鈍」

上の表の「頭の回転」にある通り、藤木は頭が悪く、伊良子は頭が良いという特性があります。二人が対比構造になっていることを考えると、これは何ら不自然ではありません。

しかしシグルイの中で、あまりにも「藤木は愚鈍である」という表現が多すぎるのです。

この源之助はほとんど声を発しない上、泣く、笑うなどの感情を表さないので、親は愚鈍の子と思い、兄たちに劣る食事を与えていた。 (第七巻)

あまりにも無口なため、源之助は感受性に欠落があるのではと噂されている。 (第12巻)

「伊良子清玄、腕も立つが、弁も立つ。どこかの仏頂面とは、大した違いにござる。」 (第13巻)

徳次郎の顔面がみるみる紅潮した。源之助の言葉は、あまりに抜き身すぎた。 (第13巻)

 

くどいと思うほど何回も出てきますが、シグルイがチャンバラ漫画であることを考えると、これは奇妙なことです。剣の腕前が全てであるのが武士の世界のはずなのに、頭の良い悪いがことさら強調されて、繰り返し出てくるのです。

しかし、藤木が馬鹿であることは、とてつもなく重要なことなのです。なぜなら、物語の結末に直結する特性であるからです。

そして、最後の最後で、藤木と伊良子のもう一つの対称構造が明らかになるのです。

忠長と伊良子清玄

忠長が暴君になった理由

父親は徳川家第二代将軍であり、その次男として誕生したのが、忠長でした。兄の家光と比べると、才能も見た目も、忠長の方が勝っています。よって、次の第三代将軍として考えられていたのは忠長でした。

しかし、春日局が初代将軍家康に直訴すると、家光が勝ち、忠長は未来の将軍職を失います。このことにより忠長は不満と苛立ちを募らせ、傍若無人な絶対君主へと変化していったのでした。

詰みを回避せよ

城主忠長の興味を引き、たびたび城に呼ばれるようになった伊良子清玄は、ある日人生最大の危機を迎えます。うっかり口を滑らせてしまい、城主忠長の怒りを買ってしまったのです。

忠長から選択肢が二つ与えられますが、どっちを選んでも死ぬことになるという、まさに袋小路に追い詰められた状況になりました。

ここで伊良子の頭の良さが光り、忠長に向かってこう言うのです。

「家光を倒し天下一の武将となる忠長様に、刃を向けることはできません。忠長様が反乱を起こそうとしていることは、私だけでなく、他の人も知っています」

伊良子は忠長からの催促を真正面から受けるのではなく、相手の気が動転するような話題を持ち出して、逆に忠長を攻撃したのです。

例えばこんな作り話

駿府城でのこのやりとりを、少し状況を変えて、現代風に脚色してみます。

ブラック大企業の社長である忠長は、社員と部下で酒を飲んでいました。この忠長はワンマン社長で、常に黒い噂が絶えません。その中に新入りの伊良子清玄もいたのですが、うっかり調子に乗ってしまいました。社長がゴルフのスコアを自慢しているところで、伊良子は「たいしたことないっすね」と馬鹿にしてしまったのです。

すると社長は激怒し、「今すぐここで辞表を書け」と言うのです。社長の力は絶対的で、誰も逆らえません。もはや辞表を書くしかないかと思われましたが、伊良子君は一か八かの賭けにでました。

「社長のような人望の厚い名士のもとから、私は去ることができません。人望があるからこそ、こっそりと愛人を作り、未成年の女子校生を売春し、会社のカネを横領することができるのです。私だけではありません。このことは社員全員知っています」

これを聞いて、青ざめたのは社長だけでなく、ここにいた社員全員でした。新入りの伊良子君が言っていいことを遥かに越えていたし、ましてや面と向かって言えることでは無いからです。

社長はあっけに取られ、返す言葉を無くします。社長は無言でその場から立ち去り、とりあえずのところ、伊良子君は会社を辞めずに済んだのです。

駿府城でのやり取りと、私が作ったこの話に共通するのは、相手の要求を飲み込むことはできないので、周囲を巻き込んで、対象を攻撃し揺さぶった点です。一休のとんち話のような美しさはありませんが、緊急事態ならではのあがき方でしょう。

忠長再び

そして、この状況とまるで同じことが、もう一度起こります。周囲に人がいる状況で、忠長から無理難題を言われる事態です。

しかし今度は伊良子にではなく、藤木にふりかかったのです。

忠長と藤木源之助

勝利の後に

城主と大名衆が見守る中、駿府城で藤木と伊良子は、真剣での斬り合いになります。そして激闘の末、藤木が勝ちました。

すると忠長から、「伊良子の首を斬り落とせ。晒し首にする」と言われました。しかし、そんなことは決してしたくありません。藤木にとって、伊良子は称賛に値する侍だからです。

藤木は忠長の要望を回避しなければなりません。

詰みを回避せよ

藤木源之助はこう言うべきでした。

「忠長様、伊良子は当道者なれど、苦しい境遇を生き抜き、剣の極地まで到達した侍でございました。この誉れ高き武士の誇りを汚すのであれば、ここに集いし大名衆が承知いたしませぬ。忠長様に奉公するであろう浪人衆にも、波紋が広がりましょう」

正当な主張と、周囲を巻き込む論法の組み合わせです。上級職の人間が連なる厳正な場所での発言なので、真っ当な意見が通るはずです。

だが実際はどうだったでしょうか。

藤木の思考回路はパニックにより停止し、忠長からの要求をそのまま受け入れてしまったのです。何一つ反論できませんでした。

そして自分の誇りであった伊良子の首を、自らの手で切り落としてしまったのでした。

もう一つの「対比構造」とは

以上を踏まえて、最後の項目で表を埋めると、対比構造はこのようになります。

藤木源之助 伊良子清玄
忠長からの問答 失敗 成功

 

まとめ

シグルイに何度となく現れる、藤木が愚鈍であるという表現は、最後の最後における結末のための、大仕掛けであった。

聡明な伊良子は、忠長からの回避不可能な要求を、見事に避けることができた。

しかし藤木は、愚鈍であるがゆえに、忠長からの問答に頭が真っ白になり、選択すべき答えが出せなかった。

藤木のこの失態は、新たな悲劇を引き起こすことになった。

三重は失望し、自殺してしまったのである。誇りと意思を失った藤木に、以前に強姦に加わった傀儡の姿を重ねたのが、理由である。